木漏れ日の里道にたたずむ京風の名園
高柳は棚田と黒姫山とかやぶきの里。じょんのびのふるさとに京風の文化が息づいていました。
貞観園は江戸時代中期の京都風の名園で、もとは刈羽郡高柳町の旧家・村山家の大庭園で国指定文化財となっています。村山家は信州の出身で、東頚城郡松之山を経て寛永年間に高柳の地に移住し、それからは歴代に渡って岡野町の大庄屋を努めました。
延宝1年(1673年)の造園から、村山家が代々に渡って改修を繰り返して景観を整えましたが、その改修に幕府の庭師・九段仁右衛門、藤井友之進などが携わったとされています。京都風の手法を守って造園されており、庭石に佐渡産の赤玉石を多く用いている点に地方色があります。国の指定名勝になっており、天保14年(1843年)儒学者藍澤南城によって貞観園と命名されました。
「堂と園とを併せ八景十勝の名勝があり、主石賽木の法にのっとって青苔の趣にみるべきものがある。」
庭内は、木々に周囲を囲まれて薄暗く、一面の苔の間に程よく置かれた庭石を踏んで見て廻れるようになっています。
村山家の母屋は、貞観堂と呼ばれる建物で、庭に池泉が配され、苔香泉、看雲滝と名づけられた二条の滝が落ちています。
庭木も手入れが行き届き、県の天然記念物に指定されているモミとケヤキの老大樹がいっそうの風情をそえ、樹間に観瀑亭・抱月楼・四時庵・環翠軒といった茶室や四阿が散在し、しっとりとした情趣をかもし出しています。
鈴木牧之の『北越雪譜』に紹介されている峨眉山下野橋、亀の化石など、庭石にも珍しいものがあり、村山家に伝わる絵画、彫刻、墨跡、茶器などの文化財が多数保管されています。